浜松荘(はままつのしょう)は、遠江国敷知郡(現在の静岡県浜松市・湖西市付近)にあった荘園。戦国時代には中心地であった引間城(曳馬城)に因んで引間領(曳馬領)とも呼ばれた。 『和名抄』に登場する浜松郷の後身とみられ、『吾妻鏡』養和元年(1181年)閏2月17日条に登場することから、平安時代末期には存在したと推定されるが、具体的な成立経緯は不明。 鎌倉時代には皇室領となっており、安嘉門院から室町院、次いで亀山法皇に継承されて大覚寺統領として位置づけられた。また、この時期に西園寺公衡が領家を務めていたことが文書類から判明している。 観応年間から応安年間にかけて吉良満貞が浜松荘を支配し、以後遠江国では今川氏と斯波氏が守護の地位を争う中で、浜松荘の支配権は室町時代を通じて三河吉良氏が維持してきた。
Property | Value |
---|---|
dbo:abstract |
|
dbo:wikiPageID |
|
dbo:wikiPageLength |
|
dbo:wikiPageRevisionID |
|
dbo:wikiPageWikiLink |
|
dct:subject | |
rdfs:comment |
|
rdfs:label |
|
prov:wasDerivedFrom | |
foaf:isPrimaryTopicOf | |
is dbo:wikiPageWikiLink of | |
is owl:sameAs of | |
is foaf:primaryTopic of |