『唐詩三百首』(とうしさんびゃくしゅ)は、清の(字は臨西)が編纂(さん)したと言われている詞華集。1763年(乾隆28年)、孫洙53歳のときに完成した。 編者の孫洙は、世上「蘅塘退士(こうとうたいし)」の名で知られるが、これは「蘅塘」・「退士」という二つの号を併せた呼称である。孫洙の人となりについては、近年の研究でようやく明らかになってきたものであり、その唐代の詩に対する考え方も、本書にどのような作品が採用されているかという点から推測するよりほか、今日では手掛かりがない。本書は、その選詩の基準という点において、沈徳潜が1717年(康熙56年)に撰した『』に拠るところが大きい。

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  • 『唐詩三百首』(とうしさんびゃくしゅ)は、清の(字は臨西)が編纂(さん)したと言われている詞華集。1763年(乾隆28年)、孫洙53歳のときに完成した。 編者の孫洙は、世上「蘅塘退士(こうとうたいし)」の名で知られるが、これは「蘅塘」・「退士」という二つの号を併せた呼称である。孫洙の人となりについては、近年の研究でようやく明らかになってきたものであり、その唐代の詩に対する考え方も、本書にどのような作品が採用されているかという点から推測するよりほか、今日では手掛かりがない。本書は、その選詩の基準という点において、沈徳潜が1717年(康熙56年)に撰した『』に拠るところが大きい。 (ja)
  • 『唐詩三百首』(とうしさんびゃくしゅ)は、清の(字は臨西)が編纂(さん)したと言われている詞華集。1763年(乾隆28年)、孫洙53歳のときに完成した。 編者の孫洙は、世上「蘅塘退士(こうとうたいし)」の名で知られるが、これは「蘅塘」・「退士」という二つの号を併せた呼称である。孫洙の人となりについては、近年の研究でようやく明らかになってきたものであり、その唐代の詩に対する考え方も、本書にどのような作品が採用されているかという点から推測するよりほか、今日では手掛かりがない。本書は、その選詩の基準という点において、沈徳潜が1717年(康熙56年)に撰した『』に拠るところが大きい。 (ja)
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  • 唐詩三百首 (ja)
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