参預会議(さんよかいぎ、表記は参予会議/参与会議とも)は、江戸時代末期(幕末)の文久3年(1863年)末から翌年3月まで京都に存在した、朝廷の任命による数人の有力な大名経験者から構成された合議制会議、およびその制度である。当時流行した公武合体論および公議政体論の一つの帰結ではあったが、参預諸侯間の意見の不一致から、わずか数か月で崩壊した。