1912年から1951年までのチベットは、中央チベットに排他的実効支配を確立しチベット全土の統合と独立国家としての国際的承認の獲得を目指すチベットの政府「ガンデンポタン」と、清朝からアムド地方およびカム地方東部のチベット人諸侯の支配権を受け継ぎ中央チベットを「西蔵地方」として領土に組み込むことを目指す中華民国および中華人民共和国とがせめぎあう舞台となった。