腰越状(こしごえじょう)とは、源義経が兄の源頼朝に宛てて認めたとされる手紙。元暦2年5月24日(1185年6月23日)、義経が頼朝の怒りを買い、鎌倉入りを止められて腰越に留まっていたとき、満福寺で心情を綴ったものと伝えられる。この手紙は公文所別当大江広元宛てに書かれ、頼朝へ取り次いでもらったとされるものの、結局義経は鎌倉入りを許されず京都へ引き返すこととなった。 腰越状は明治時代初期まで、手習いの教科書として用いられた。

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  • 腰越状(こしごえじょう)とは、源義経が兄の源頼朝に宛てて認めたとされる手紙。元暦2年5月24日(1185年6月23日)、義経が頼朝の怒りを買い、鎌倉入りを止められて腰越に留まっていたとき、満福寺で心情を綴ったものと伝えられる。この手紙は公文所別当大江広元宛てに書かれ、頼朝へ取り次いでもらったとされるものの、結局義経は鎌倉入りを許されず京都へ引き返すこととなった。 腰越状は明治時代初期まで、手習いの教科書として用いられた。 (ja)
  • 腰越状(こしごえじょう)とは、源義経が兄の源頼朝に宛てて認めたとされる手紙。元暦2年5月24日(1185年6月23日)、義経が頼朝の怒りを買い、鎌倉入りを止められて腰越に留まっていたとき、満福寺で心情を綴ったものと伝えられる。この手紙は公文所別当大江広元宛てに書かれ、頼朝へ取り次いでもらったとされるものの、結局義経は鎌倉入りを許されず京都へ引き返すこととなった。 腰越状は明治時代初期まで、手習いの教科書として用いられた。 (ja)
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  • 腰越状(こしごえじょう)とは、源義経が兄の源頼朝に宛てて認めたとされる手紙。元暦2年5月24日(1185年6月23日)、義経が頼朝の怒りを買い、鎌倉入りを止められて腰越に留まっていたとき、満福寺で心情を綴ったものと伝えられる。この手紙は公文所別当大江広元宛てに書かれ、頼朝へ取り次いでもらったとされるものの、結局義経は鎌倉入りを許されず京都へ引き返すこととなった。 腰越状は明治時代初期まで、手習いの教科書として用いられた。 (ja)
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  • 腰越状 (ja)
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