義経=ジンギスカン説(よしつね=じんぎすかんせつ)、又は義経=チンギス・ハン説は、モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハン(チンギス・カンとも)と源義経は同一人物であるという仮説・伝説(「ジンギスカン」は明治から昭和期の歴史的呼称で、漢字表記「成吉思汗」に対する当時の発音表記)。 チンギス・ハン(以後、チンギス・ハンと統一)が義経だったとする説は、明治中期から広がり、大正13年(1924年)に小谷部全一郎著『成吉思汗ハ源義経也』が出版されると、反論も含め反響を呼び、版を重ねるベストセラーとなった。 この説の流布に大きく貢献したのは、オランダ商館医を務めたドイツ人医学者シーボルトで、その著『日本』で蝦夷志等を参考に同説を論じた。それに影響を受けたウィリアム・グリフィスや手塚律蔵の著書を参考に、末松謙澄が英国ケンブリッジ大学留学中に英語論文を公刊。小谷部全一郎の著作はそれを下敷きに書かれたものである。