胡藍の獄(こらん の ごく)は、中国明代初期の洪武13年(1380年)に宰相胡惟庸の造反計画をきっかけに起きた粛清事件「胡惟庸の獄」と、洪武26年(1393年)に起きた将軍藍玉に関する同様の粛清事件「藍玉の獄」をあわせた総称である(1390年に起きた李善長の獄を胡惟庸の獄の延長と見なして、これを含める場合もある)。洪武帝治世後期の徹底した恐怖政治を象徴する事件群であり、いずれも一万人以上の犠牲者を出したといわれる大粛清である。明国内にとどまらず、日本との外交にも影響を及ぼす大事件となった。このほかにも洪武帝の治世に起きた同様の粛清事件は多く、洪武9年(1376年)の「空印の案」、洪武18年(1385年)の「郭桓の案」をあわせて「明初四大案」「洪武四大案」などと呼ばれることもある。本項では、上記の4事件のほか洪武帝期に行われた粛清事件である「林賢事件」「李善長の獄」なども含め、洪武帝治世の粛清事件全般を概説する。