説成親王(かねなりしんのう、生没年不詳)は、南北朝時代から室町時代にかけての南朝の皇族。後村上天皇の第六皇子で、長慶天皇・後亀山天皇の弟と推定される。母は不詳。子にがいる。官職は上野太守で、上野宮(こうずけのみや)・福御所と号した。本来の諱は懐成(かねなり)・懐邦(かねくに)。 近世の以来、護聖院宮家の初代親王に比定する説が通説であったが、近年の研究では史料的な裏付けを欠くとして否定されつつある。

Property Value
dbo:abstract
  • 説成親王(かねなりしんのう、生没年不詳)は、南北朝時代から室町時代にかけての南朝の皇族。後村上天皇の第六皇子で、長慶天皇・後亀山天皇の弟と推定される。母は不詳。子にがいる。官職は上野太守で、上野宮(こうずけのみや)・福御所と号した。本来の諱は懐成(かねなり)・懐邦(かねくに)。 近世の以来、護聖院宮家の初代親王に比定する説が通説であったが、近年の研究では史料的な裏付けを欠くとして否定されつつある。 (ja)
  • 説成親王(かねなりしんのう、生没年不詳)は、南北朝時代から室町時代にかけての南朝の皇族。後村上天皇の第六皇子で、長慶天皇・後亀山天皇の弟と推定される。母は不詳。子にがいる。官職は上野太守で、上野宮(こうずけのみや)・福御所と号した。本来の諱は懐成(かねなり)・懐邦(かねくに)。 近世の以来、護聖院宮家の初代親王に比定する説が通説であったが、近年の研究では史料的な裏付けを欠くとして否定されつつある。 (ja)
dbo:title
  • 殿下 (ja)
  • 殿下 (ja)
dbo:wikiPageID
  • 2363243 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 2499 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 89502367 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
prop-ja:人名
  • 説成親王 (ja)
  • 説成親王 (ja)
prop-ja:全名
  • 説成(かねなり) (ja)
  • 説成(かねなり) (ja)
prop-ja:出生日
  • 不明 (ja)
  • 不明 (ja)
prop-ja:子女
prop-ja:敬称
prop-ja:死亡日
  • 永享5年頃 (ja)
  • 永享5年頃 (ja)
prop-ja:父親
prop-ja:称号
  • 上野宮、福御所 (ja)
  • 上野宮、福御所 (ja)
prop-ja:続柄
prop-ja:身位
dct:subject
rdf:type
rdfs:comment
  • 説成親王(かねなりしんのう、生没年不詳)は、南北朝時代から室町時代にかけての南朝の皇族。後村上天皇の第六皇子で、長慶天皇・後亀山天皇の弟と推定される。母は不詳。子にがいる。官職は上野太守で、上野宮(こうずけのみや)・福御所と号した。本来の諱は懐成(かねなり)・懐邦(かねくに)。 近世の以来、護聖院宮家の初代親王に比定する説が通説であったが、近年の研究では史料的な裏付けを欠くとして否定されつつある。 (ja)
  • 説成親王(かねなりしんのう、生没年不詳)は、南北朝時代から室町時代にかけての南朝の皇族。後村上天皇の第六皇子で、長慶天皇・後亀山天皇の弟と推定される。母は不詳。子にがいる。官職は上野太守で、上野宮(こうずけのみや)・福御所と号した。本来の諱は懐成(かねなり)・懐邦(かねくに)。 近世の以来、護聖院宮家の初代親王に比定する説が通説であったが、近年の研究では史料的な裏付けを欠くとして否定されつつある。 (ja)
rdfs:label
  • 説成親王 (ja)
  • 説成親王 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
foaf:name
  • 説成親王 (ja)
  • 説成(かねなり) (ja)
  • 説成親王 (ja)
  • 説成(かねなり) (ja)
is dbo:wikiPageRedirects of
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of