藤田 潤一(ふじた じゅんいち、1910年 - 1970年代)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、劇作家、演出家である。本名同じ。牧野省三のマキノ・プロダクションの助監督としてキャリアを始め、牧野の没後、脚本家として河合映画製作社、新興キネマに移籍、1934年(昭和9年)に監督に昇進した。山中貞雄らによる「鳴滝組」にも参加し、片岡千恵蔵プロダクション、日活、東宝映画と転々とした。第二次世界大戦中から戦後にかけて「」の座付作家として活動し、初期のテレビ放送劇の台本も書いた。脚本家としての別名に三田 一(みた はじめ)、1965年(昭和40年)からは黎明期の成人映画を量産、この時代には藤田 潤八(ふじた じゅんぱち)、岡野 進(おかの すすむ)等と名のった。連続テレビ映画『遊星王子』の監督としても知られる。