矢島 保治郎(やじま やすじろう、1882年(明治15年)8月23日 - 1963年(昭和38年)2月13日)は日本の探検家、軍人。四川省からのルートで初めてチベット入りした人物であり、ダライ・ラマ13世の厚遇を受けてチベットの軍事顧問に就任した。 文献によっては名前が「保次郎」となっているものもあるが、矢島が使っていた名刺や親族からの手紙などには「保治郎」が使われている。