山陽本線特急列車脱線事故(さんようほんせんとっきゅうれっしゃだっせんじこ)とは、1926年(大正15年)に鉄道省山陽本線安芸中野駅 - 海田市駅間で発生した列車脱線事故である。 この事故を起こした特別急行第1列車(事故後の1929年に「富士」と命名)は、下関駅から関釜連絡船を介してアジア及びヨーロッパを連絡する国際連絡運輸の役割を担う日本最高級の列車であり、著名人も多数乗車していたため、世間に大きな衝撃を与えた。 それにも増して、鉄道省関係者は木造車体の脆弱性を指摘されることになり、日本で新造される客車が鋼製に切り替わる契機になったとよく言われるが、関係者によると、この事故の数年前から鋼製車体の開発は行われており、たまたま完成間近にあった事故だ、とされている()。