女人芸術(にょにんげいじゅつ)、当時の表記としては女人藝術は、長谷川時雨が主宰して、1928年(昭和3年)7月から1932年(昭和7年)6月まで48冊を出した女性の文芸・総合雑誌で、次第に女性解放の理論誌的色彩を濃くした。ほかに、ともに短命に終わった同名の雑誌2例が記録されている。