兵庫開港要求事件(ひょうごかいこうようきゅうじけん)は、慶応元年9月(1865年11月)、イギリス・フランス・オランダの連合艦隊が兵庫沖に侵入し、その軍事力を背景に安政五カ国条約の勅許と兵庫の早期開港を迫った事件。アメリカ合衆国は艦隊を派遣しなかったものの公使が同行しており、四カ国艦隊摂海侵入事件などともよばれる。