二重橋爆弾事件 (にじゅうばしばくだんじけん)とは、大正11年(1922年)3月17日、大正天皇もしくは摂政宮に上奏文を渡して直訴する目的で皇居に二重橋(第一橋)から入り込もうとした労働者・藤田留治郎が、持っていた爆弾に火を付けて走り出し、詰所の警官を振り切って橋の上で爆死して自殺した事件である。単に二重橋事件とも云う。