トマス・エリオット・ブラムレット(英: Thomas Elliott Bramlette、1817年1月3日 - 1875年1月12日)は、19世紀アメリカ合衆国の政治家、弁護士であり、1863年から1867年まで第23代ケンタッキー州知事を務めた。南北戦争のさなかにあった1863年に知事に選ばれ、戦争の残り期間からレコンストラクション時代の初めにかけて、ケンタッキー州を指導した。戦争が始まったときは、将来ある政歴を一次止めて北軍に志願し、ケンタッキー第3歩兵連隊を立ち上げて指揮した。1862年、エイブラハム・リンカーン大統領がブラムレットをケンタッキー州の地区検事に指名した。その1年後の州知事選挙では統一民主党の候補者になった。北軍による選挙干渉もあって、ブラムレットは大差で対抗馬チャールズ・A・ウィクリフを破り当選した。しかし、1年も経たないうちに、ケンタッキー州のアフリカ系アメリカ人を徴兵したり、ケンタッキー州民に対して人身保護令状の発行を停止するなど連邦政府の政策もあって、リンカーン政権に対する支持を放棄し、「州をアメリカ連合国の中で血の洗礼を行う」と宣言した。