ヴラジーミル・ミハイロヴィチ・コマロフ(ロシア語: Влади́мир Миха́йлович Комаро́в; IPA: [vlɐˈdʲimʲɪr mʲɪˈxajləvʲɪtɕ kəmɐˈrof]; 1927年3月16日 – 1967年4月24日) は、ソヴィエト連邦の試験飛行操縦士、航空宇宙飛行士、航空宇宙機関士。1964年10月、複数の搭乗員を乗船させた宇宙飛行、ヴォスホート一号(Восход-1)の指揮を執った。のちのソユーズ一号(Союз-1)の打ち上げにおいては、有人宇宙飛行で初の単独操縦士に選抜され、ソ連の宇宙飛行士として2度の宇宙飛行を経験した最初の人物となった。1967年4月23日、コマロフはソユーズ一号に単独で搭乗し、宇宙へと打ち上げられるも、落下傘型安全装置が機能不全を起こし、ソユーズ宇宙船は地上に墜落。宇宙事故による非業の最期を遂げた最初の人物にもなった。