ウグラ河畔の対峙(ウグラかはんのたいじ)は、1480年にウグラ川のほとりで行われた、大オルダのアフマド・ハン軍とモスクワ大公国のイヴァン3世軍による対陣。アフマド・ハンがモスクワ軍を破ることを諦め、退却したことで終結した。 この対陣を経てロシアとモンゴルの関係が劇的に変化したわけではないが、ながらくロシアに対して軍事的優位にあったモンゴル軍が正面衝突を避けて退却したことから、ロシアの歴史観ではタタール人(=モンゴル人)によるルーシ支配の終焉を象徴する事件と位置づけられている。