ウィーン写本、ヴィンドボネンシス(ラテン語: Codex vindobonensis)は、古代ローマの医師ディオスコリデス(40年頃 - 90年)による本草書『薬物誌』のギリシャ語の写本である。西ローマ帝国の皇女であった貴婦人(462年 - 527/528年)に捧げるために、512年から520年のいずれかの年にコンスタンティノープルで作成された。現在ウィーンのオーストリア国立図書館に収蔵されている。 所在地のウィーンにちなんで、ウィーン写本、ヴィンドボネンシスと呼ばれる。また、生まれた場所からディオスクリデス・コンスタンティノポリタヌス、コンスタンティノポリタヌス写本、コンスタンティノープル写本とも呼ばれ、簡単にC写本といいならわされている。献呈者の名を冠し、アニキア・ユリアナ写本とも称される。現在「ギリシア医学写本1」(Codex medicus graecus 1)という図書番号を持つ。

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  • ウィーン写本、ヴィンドボネンシス(ラテン語: Codex vindobonensis)は、古代ローマの医師ディオスコリデス(40年頃 - 90年)による本草書『薬物誌』のギリシャ語の写本である。西ローマ帝国の皇女であった貴婦人(462年 - 527/528年)に捧げるために、512年から520年のいずれかの年にコンスタンティノープルで作成された。現在ウィーンのオーストリア国立図書館に収蔵されている。 所在地のウィーンにちなんで、ウィーン写本、ヴィンドボネンシスと呼ばれる。また、生まれた場所からディオスクリデス・コンスタンティノポリタヌス、コンスタンティノポリタヌス写本、コンスタンティノープル写本とも呼ばれ、簡単にC写本といいならわされている。献呈者の名を冠し、アニキア・ユリアナ写本とも称される。現在「ギリシア医学写本1」(Codex medicus graecus 1)という図書番号を持つ。 重要かつ貴重な古代末期のギリシャ語の写本で、現在は491枚の羊皮紙製のフォリオからなる。その内、現存する古いフォリオは481枚である。その古さと素材、度重なる使用から保存状態は良いとはいえず、何度も修復されている。すばらしい大文字体で書かれ、多くの彩色図が収められている。彩色図には、古代ギリシャの医師・本草家クラテウアス(紀元前1世紀)の植物画をコピーした図のように、写実的・立体的な美しい図と、図式的・平面的な図があり、これには呪術的なものも含まれる。内容は、ディオスコリデスの『薬物誌』をアルファベット順に並べ替えたものに、他の人物の小著が取り入れられている。「ウィーン写本」には、合理的であった元々の『薬物誌』とは対照的に、呪術的・異教的な内容もみられる。植物のアラビア名、ラテン名、ギリシア名、ペルシア名が書き込まれており、他にも多様な言語で多くの書き込みがある。 9世紀に渡って失われていたが、15世紀前半に表舞台に表れ、コンスタンティノープルのプロドモス修道院の修道士によって製本し直された。オスマン帝国皇帝スレイマン2世の侍医であったユダヤ人のものであったが、神聖ローマ帝国皇帝フェルディナントによってオスマン帝国に派遣された大使で本草家のオージェ・ギスラン・ド・ブスベック(Ogier Ghiselin de Busbecq)がウィーン写本を見つけ、ハモンの息子からブスベックの仲介で神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン2世に売却された。これにより、1569年にウィーンの宮廷図書館にもたらされた。神聖ローマ皇帝の侍医で王室史編纂家のJ・サンブクスや、植物学者レンベルト・ドドエンス、カロルス・クルシウスらの関心を集めた。 (ja)
  • ウィーン写本、ヴィンドボネンシス(ラテン語: Codex vindobonensis)は、古代ローマの医師ディオスコリデス(40年頃 - 90年)による本草書『薬物誌』のギリシャ語の写本である。西ローマ帝国の皇女であった貴婦人(462年 - 527/528年)に捧げるために、512年から520年のいずれかの年にコンスタンティノープルで作成された。現在ウィーンのオーストリア国立図書館に収蔵されている。 所在地のウィーンにちなんで、ウィーン写本、ヴィンドボネンシスと呼ばれる。また、生まれた場所からディオスクリデス・コンスタンティノポリタヌス、コンスタンティノポリタヌス写本、コンスタンティノープル写本とも呼ばれ、簡単にC写本といいならわされている。献呈者の名を冠し、アニキア・ユリアナ写本とも称される。現在「ギリシア医学写本1」(Codex medicus graecus 1)という図書番号を持つ。 重要かつ貴重な古代末期のギリシャ語の写本で、現在は491枚の羊皮紙製のフォリオからなる。その内、現存する古いフォリオは481枚である。その古さと素材、度重なる使用から保存状態は良いとはいえず、何度も修復されている。すばらしい大文字体で書かれ、多くの彩色図が収められている。彩色図には、古代ギリシャの医師・本草家クラテウアス(紀元前1世紀)の植物画をコピーした図のように、写実的・立体的な美しい図と、図式的・平面的な図があり、これには呪術的なものも含まれる。内容は、ディオスコリデスの『薬物誌』をアルファベット順に並べ替えたものに、他の人物の小著が取り入れられている。「ウィーン写本」には、合理的であった元々の『薬物誌』とは対照的に、呪術的・異教的な内容もみられる。植物のアラビア名、ラテン名、ギリシア名、ペルシア名が書き込まれており、他にも多様な言語で多くの書き込みがある。 9世紀に渡って失われていたが、15世紀前半に表舞台に表れ、コンスタンティノープルのプロドモス修道院の修道士によって製本し直された。オスマン帝国皇帝スレイマン2世の侍医であったユダヤ人のものであったが、神聖ローマ帝国皇帝フェルディナントによってオスマン帝国に派遣された大使で本草家のオージェ・ギスラン・ド・ブスベック(Ogier Ghiselin de Busbecq)がウィーン写本を見つけ、ハモンの息子からブスベックの仲介で神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン2世に売却された。これにより、1569年にウィーンの宮廷図書館にもたらされた。神聖ローマ皇帝の侍医で王室史編纂家のJ・サンブクスや、植物学者レンベルト・ドドエンス、カロルス・クルシウスらの関心を集めた。 (ja)
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  • ウィーン写本、ヴィンドボネンシス(ラテン語: Codex vindobonensis)は、古代ローマの医師ディオスコリデス(40年頃 - 90年)による本草書『薬物誌』のギリシャ語の写本である。西ローマ帝国の皇女であった貴婦人(462年 - 527/528年)に捧げるために、512年から520年のいずれかの年にコンスタンティノープルで作成された。現在ウィーンのオーストリア国立図書館に収蔵されている。 所在地のウィーンにちなんで、ウィーン写本、ヴィンドボネンシスと呼ばれる。また、生まれた場所からディオスクリデス・コンスタンティノポリタヌス、コンスタンティノポリタヌス写本、コンスタンティノープル写本とも呼ばれ、簡単にC写本といいならわされている。献呈者の名を冠し、アニキア・ユリアナ写本とも称される。現在「ギリシア医学写本1」(Codex medicus graecus 1)という図書番号を持つ。 (ja)
  • ウィーン写本、ヴィンドボネンシス(ラテン語: Codex vindobonensis)は、古代ローマの医師ディオスコリデス(40年頃 - 90年)による本草書『薬物誌』のギリシャ語の写本である。西ローマ帝国の皇女であった貴婦人(462年 - 527/528年)に捧げるために、512年から520年のいずれかの年にコンスタンティノープルで作成された。現在ウィーンのオーストリア国立図書館に収蔵されている。 所在地のウィーンにちなんで、ウィーン写本、ヴィンドボネンシスと呼ばれる。また、生まれた場所からディオスクリデス・コンスタンティノポリタヌス、コンスタンティノポリタヌス写本、コンスタンティノープル写本とも呼ばれ、簡単にC写本といいならわされている。献呈者の名を冠し、アニキア・ユリアナ写本とも称される。現在「ギリシア医学写本1」(Codex medicus graecus 1)という図書番号を持つ。 (ja)
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