いろは丸(いろはまる)は、江戸時代末期の1860年代にイギリスで建造され、伊予国大洲藩(現在の愛媛県大洲市)が所有していた蒸気船。大洲藩が船を購入した際に「伊呂波丸」に改名されたという。「以呂波丸」と表記されることもある。45馬力の蒸気機関を有しておりマスト3本を持ち帆走も可能であった。坂本龍馬の海援隊による運航中に紀州藩の明光丸と衝突事故を起こしたことで知られる。なお、薩摩藩が同船を保有していたことがあり、このときの船名は「安行丸」であった。また、同時期に同藩が建造した日本最初の西洋型帆走船も「いろは丸」であるが、関係はない。