蒲鮮 万奴(ほせん ばんど、生没年不詳)は、13世紀前半に中国東北部(満州)からロシア沿海地方で活動した女真の武将。金朝に仕えていたが、金末の混乱期に自立して大真国を建国した。 『聖武親征録』では也奴、『元朝秘史』では夫合奴とも表記されるが、これらはいずれも「万奴(ṳan nu)」同音異訳であると見られる。また、ペルシア語史料の『集史』ではفوجیو تاییشی(fūjīū tāīīshī)とも表記される。 蒲鮮万奴の列伝は『金史』『元史』ともに存在せず、その生涯については諸史料に断片的な記録に残るに過ぎない。そのため、蒲鮮万奴の生涯については不明な点が多く、日本の東洋史学者の間でも活発な議論がなされたことがある。