後遼(こうりょう、1216年 - 1219年)は、金朝末期に中国東北部を中心に存在した地方政権。東遼政権から分離独立する形で成立したが、モンゴル帝国と金朝の双方から攻撃を受けて高麗領に逃れ、内部対立の果てに瓦解した。