北条 幻庵(ほうじょう げんあん)は、戦国大名・後北条氏の一門衆。法号・長綱(ちょうこう)のち宗哲(そうてつ)。初代・北条早雲の末子、2代・北条氏綱の弟として生れる。幼名・菊寿丸。幼くして僧籍に入り、のち箱根権現社別当となる。早雲から箱根や久野の広大な所領を相続。甥にあたる玉縄城主・北条為昌の死後、と小机衆も統率した。久野に屋敷を構え、後北条氏5代にわたって仕え、家中で大きな影響力を持っていた。自身は長寿だったことで知られるが、跡継ぎ4人に先立たれたことでも知られる。鞍作り・石台作りなどの技芸や和歌・連歌などの芸事に通じた。後に箱根の金剛王院の衆僧の高師となり、権化の再来といわれたと三浦浄心『北条五代記』に伝わる。