拉孟・騰越の戦い(らもう・とうえつのたたかい)は、1944年6月2日から1944年9月14日まで中国・雲南省とビルマ(現ミャンマー)との国境付近にある拉孟(保山市竜陵県)・騰越(同市騰衝県)地区で行われた、日本軍と中国・アメリカ軍(雲南遠征軍)の陸上戦闘のことを言う。日本の部隊は援蒋ルートの遮断のために派遣された小規模なもので、進出した当初の1942年頃は中国軍に対して優位に立っていたが、援蒋ルート遮断後も空輸によって中国軍への支援が継続されたため、連合軍の指導によって近代的な兵力を身につけた中国軍が1944年より反撃に転じ、数に劣る日本軍は圧倒された。日本軍は補給路を断たれ孤立し、撤退命令も出ず、また救援部隊も送られなかったため、拉孟守備隊および騰越守備隊は最終的に玉砕した。硫黄島などの孤島において玉砕したケースは多いが、この戦いは大陸において玉砕した珍しいケースとして知られる。
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