松平 忠明(まつだいら ただあきら/ただあき)は、江戸時代後期の大身旗本(旗本寄合席)。信濃塩崎陣屋5000石松平家の第3代当主。豊後岡藩主中川久貞の子で、松平忠常の婿養子となる。1798年に幕府が蝦夷地を直轄化する際にの筆頭に任命され、蝦夷地の探索・調査にあたり、経営方針の策定に関わったことで知られる。その後、駿府城代に転任。官位は従五位下・信濃守。