中国大返し(ちゅうごくおおがえし)または備中大返しは、戦国時代末期の天正10年6月(西暦1582年6月-7月)、備中高松城の戦いにあった羽柴秀吉が主君織田信長の本能寺の変での自害を知った後、速やかに毛利氏との講和を取りまとめ、主君の仇明智光秀を討つため、中国路を京に向けて全軍を取って返した約10日間にわたる軍団大移動のこと。備中高松城(岡山県岡山市北区)から山城山崎(京都府乙訓郡大山崎町)までの約230 km を踏破した、日本戦史上屈指の大強行軍として知られる。この行軍の後、秀吉は摂津・山城国境付近の山崎の戦いにおいて明智光秀の軍を撃破した。 * 文中の( )内の年は西暦、ユリウス暦(1582年10月15日以降はグレゴリオ暦)、月日は全て和暦、宣明暦の長暦による。