高嶺 秀夫(たかみね ひでお、1854年10月6日(嘉永7/安政元年8月15日) - 1910年(明治43年)2月22日)は明治時代の日本の教育者。旧会津藩臣。 慶應義塾(現・慶應義塾大学)の塾生・教員を経て、師範教育調査のため文部省によりアメリカ合衆国へ派遣され、オスウィーゴ師範学校(現・ニューヨーク州立大学オスウィーゴ校 SUNY Oswego)に留学。帰国後は東京師範学校及び東京高等師範学校(ともに現・筑波大学)で教員・校長を務め、ペスタロッチ主義教育(開発教授)の導入と師範教育の近代化を推進した。また帝国博物館(現・東京国立博物館)天産部長・歴史部長を兼ね、晩年は女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)、東京美術学校、東京音楽学校(ともに現・東京芸術大学)の校長を歴任した。