陰山 豊洲(かげやま ほうしゅう、寛延3年(1750年) - 文化5年11月29日(1809年1月14日))は江戸時代の漢学者。河内狭山藩藩儒。名は雍、字は文煕、通称は忠右衛門。松桂園とも号した。古文辞学派に属する。 荻生徂徠を尊び、文は先秦、詩は盛唐李攀竜を規範とした。時の佐伯藩主毛利高標の賞賛を受けた。弟子山梨稲川を輩出した。