鈴木 音高(すずき おとたか、文久2年7月8日(1862年8月3日) - 1924年2月28日)または山岡 音高(やまおか おとたか)は、静岡県出身の自由民権運動家。静岡事件(1886年)の中心人物の一人として知られる。のちにアメリカ合衆国のシアトルに移住して実業家となった。幼少時に山岡家から鈴木家に養子に入り、静岡事件で服役中の1893年(明治26年)に山岡姓に復している。一方、講談社『日本人名大辞典』では「鈴木音高」で立項されている。 長男は東京裁判の日本側弁護人をつとめたジョージ山岡。