道(どう、古典ラテン語:praefectura praetorio プラエフェクトゥラ・プラエトーリオー、ギリシア語:ἐπαρχότης τῶν πραιτωρίων, eparkhotēs tōn praitōriōn または ὑπαρχία τῶν πραιτωρίων, hyparkhia tōn praitōriōn)とは、帝政後期のローマ帝国における最大の行政区画である。中分類の管区や小分類の属州よりも上位に位置づけられていた。その統治にはプラエフェクトゥス・プラエトリオ(道長官)が当たる。「行政区」「道管区」と訳されることもある。 道が創設されたのはコンスタンティヌス1世の治世である。4世紀の後半にほぼ最終的な形となり、7世紀に東ローマ皇帝のヘラクレイオスの改革によって道の権限が縮小され、イスラーム帝国の侵略を受けてテマ制が導入されるまで存続した。道が持つ行政機構としての要素は東ローマ帝国の9世紀前半の文献によって残されている。

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  • 道(どう、古典ラテン語:praefectura praetorio プラエフェクトゥラ・プラエトーリオー、ギリシア語:ἐπαρχότης τῶν πραιτωρίων, eparkhotēs tōn praitōriōn または ὑπαρχία τῶν πραιτωρίων, hyparkhia tōn praitōriōn)とは、帝政後期のローマ帝国における最大の行政区画である。中分類の管区や小分類の属州よりも上位に位置づけられていた。その統治にはプラエフェクトゥス・プラエトリオ(道長官)が当たる。「行政区」「道管区」と訳されることもある。 道が創設されたのはコンスタンティヌス1世の治世である。4世紀の後半にほぼ最終的な形となり、7世紀に東ローマ皇帝のヘラクレイオスの改革によって道の権限が縮小され、イスラーム帝国の侵略を受けてテマ制が導入されるまで存続した。道が持つ行政機構としての要素は東ローマ帝国の9世紀前半の文献によって残されている。 (ja)
  • 道(どう、古典ラテン語:praefectura praetorio プラエフェクトゥラ・プラエトーリオー、ギリシア語:ἐπαρχότης τῶν πραιτωρίων, eparkhotēs tōn praitōriōn または ὑπαρχία τῶν πραιτωρίων, hyparkhia tōn praitōriōn)とは、帝政後期のローマ帝国における最大の行政区画である。中分類の管区や小分類の属州よりも上位に位置づけられていた。その統治にはプラエフェクトゥス・プラエトリオ(道長官)が当たる。「行政区」「道管区」と訳されることもある。 道が創設されたのはコンスタンティヌス1世の治世である。4世紀の後半にほぼ最終的な形となり、7世紀に東ローマ皇帝のヘラクレイオスの改革によって道の権限が縮小され、イスラーム帝国の侵略を受けてテマ制が導入されるまで存続した。道が持つ行政機構としての要素は東ローマ帝国の9世紀前半の文献によって残されている。 (ja)
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  • 道(どう、古典ラテン語:praefectura praetorio プラエフェクトゥラ・プラエトーリオー、ギリシア語:ἐπαρχότης τῶν πραιτωρίων, eparkhotēs tōn praitōriōn または ὑπαρχία τῶν πραιτωρίων, hyparkhia tōn praitōriōn)とは、帝政後期のローマ帝国における最大の行政区画である。中分類の管区や小分類の属州よりも上位に位置づけられていた。その統治にはプラエフェクトゥス・プラエトリオ(道長官)が当たる。「行政区」「道管区」と訳されることもある。 道が創設されたのはコンスタンティヌス1世の治世である。4世紀の後半にほぼ最終的な形となり、7世紀に東ローマ皇帝のヘラクレイオスの改革によって道の権限が縮小され、イスラーム帝国の侵略を受けてテマ制が導入されるまで存続した。道が持つ行政機構としての要素は東ローマ帝国の9世紀前半の文献によって残されている。 (ja)
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  • 道 (ローマ帝国) (ja)
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