農奴解放令(のうどかいほうれい)とは、1861年3月にロシア皇帝のアレクサンドル2世が発した法律および条令である。法律は農奴制廃止の基本的条件を定めた。条例は全国を4つに区分した上で、各地域の実情を考え、土地分与・義務・義務償却等の条件を確定した。4地域で一番広いのは大ロシアを中心とするものであった。残り3地域は小ロシア、白ロシア、そして南西部(ドニエプル川右岸ウクライナ)であった。小ロシアでは特に領主の利益が尊重された。ポーランド貴族が領主であった南西部では、1847-8年導入の土地台帳を基準として分譲された。白ロシアは開放時の耕作地がそのまま分譲された。解放令は領主に分譲地の代金を与えたが、1863年6月と1866年11月に御料地と国有地についても裁可された。 農奴解放の制度的素地は東欧の1848年革命にあり、ハンガリーの例が研究されている。