象山書院は、1839年(天保10年)に佐久間象山が神田お玉ヶ池に開いた私塾。玉池書院ともいう。 「俊英達識、傲岸にして人に下らず」と言われていた佐久間象山ではあったが、1844年(天保15年・弘化元年)に、著名な教育者・朱子学者であった伊予小松藩の近藤篤山に請い、「懐貞」の揮毫と「尊所聞行所知(聞所を尊び知るところを行ふ)」の言葉を贈られている。また、度重なる依頼の末「庁事」、「象山書院」の扁額も贈られ塾に掲げている。 1851年(嘉永4年)には江戸木挽町にあらたに「五月塾」を開いた。