西八条禅尼(にしはちじょうぜんに、建久4年(1193年) - 文永11年9月18日(1274年10月19日))は、鎌倉時代前期から中期にかけての女性。鎌倉幕府の第3代将軍・源実朝の御台所(正室)。父は公卿の坊門信清。兄に坊門忠信、坊門忠清らがいる。「西八条禅尼」は出家後の通称で、法名は本覚尼(ほんがくに)。 実名を信子(のぶこ)とする説が流布しているが、実際には「信子」という名は伝わっていない。『尊卑分脈』において信清の妹として掲載されている「信子」と混同したものと考えられている。