藤谷家(ふじたにけ、ふじがやつけ)は、羽林家の家格を持つ藤原北家御子左流の公家。冷泉家(上冷泉家)の支流で、権大納言冷泉為満の次男・為賢を祖とする。家名は冷泉家家祖の冷泉為相が長く居を定めた鎌倉の藤ヶ谷(現鎌倉市扇ガ谷の浄光明寺付近)に由来する。 江戸時代の石高は200石。家学は歌道。明治維新後は、為寛が華族令施行により子爵に叙せられ、貴族院で有爵者議員に互選された。その後裔は戦後も続いたが、長崎大学教授を務めた最後の当主である藤谷為博の死去によって宗家は断絶したため、他家の養子となっていたその弟が同家の遺物を相続し、後にこれを冷泉家時雨亭文庫へ寄贈した。