築地館(つきじかん)は、かつて存在した日本の映画館である。 正確な時期は不明であるが1920年(大正9年)代にはすでに東京府北豊島郡王子町大字豊島(現在の東京都北区豊島)に開館しており、帝国キネマ演芸や松竹キネマの上映館であった。河合徳三郎に経営が移って以降は、河合築地館(かわいつきじかん)とも呼ばれた。1940年(昭和15年)前後には王子新興映画劇場(おうじしんこうえいがげきじょう)と改称している。第二次世界大戦末期、1945年(昭和20年)2月19日の空襲によって豊島地区は壊滅、閉館を余儀なくされた。戦前に一時、映画監督の渡辺護の実家が経営にかかわっていたことでも知られる。