福山藩の砂留(ふくやまはんのすなどめ)は、江戸時代に福山藩が藩内の備後地方、現在の広島県福山市に普請した砂防堰堤である。 元禄13年(1700年)から普請が始まったとしている。主目的は農地保全つまり下流側の農地・民家・ため池を土砂災害から守るため、場所によってはその近くに城下町・宿場町・寺社・街道があるためそれらの保護とも推定されている。 江戸期に造られ現存する砂防堰堤は、日本国内において特にこの地域に多く、増築・嵩上を続けて現在でも多数が砂防堰堤として機能している。ただし当時の記録資料自体が少ないため不明な点も多く、全体でいくつ造られたかわかっていない。近代に入り欧州からの技術導入により日本国内に砂防堰堤が造られたものの、福山の砂留はそれらとは完全に別の技術史を歩んでいる。