祇園闘乱事件(ぎおんとうらんじけん)は、久安3年6月15日(1147年7月14日)に祇園社の神人と平清盛の郎党が小競り合いとなり、宝殿に矢が当たり多数の負傷者が発生した事件。平忠盛・清盛父子の配流を求める延暦寺の強訴の引き金となった。