白馬の戦い(はくばのたたかい)は、中国後漢末期である建安5年(200年)4月に、河南の有力軍閥である曹操と河北の有力軍閥である袁紹が、白馬県で戦った戦い。両勢力が黄河の畔で争った官渡の戦いの前哨戦である。 兵力で劣る曹操軍が袁紹軍を軍略で翻弄し、袁紹軍の顔良は一戦であえなく斬られた。その直後に曹操が策略を用いて袁紹軍の文醜を延津で戦死させた戦いとまとめて「白馬・延津の戦い」と呼ぶこともある。