李 通(り つう、168年 - 209年)は、中国後漢末期の武将。曹操に仕えた。字は文達(ぶんたつ)。幼名に万億(『魏略』)。本貫は趙郡。先祖の潁川郡襄城県出身の李就(李膺の祖父の李脩の弟)は荊州江夏郡平春県に移り住んでいた。子に李緒・李基。孫(李緒の子)に李秉。曾孫(李秉の子)に李重・李嶷・李尚・李矩。玄孫に李式(李重の子)・李樊(李重の子で、李先の父)・李充(李矩の子)。『三国志』魏志「二李臧文呂許典二龐閻伝」に伝がある。

Property Value
dbo:abstract
  • 李 通(り つう、168年 - 209年)は、中国後漢末期の武将。曹操に仕えた。字は文達(ぶんたつ)。幼名に万億(『魏略』)。本貫は趙郡。先祖の潁川郡襄城県出身の李就(李膺の祖父の李脩の弟)は荊州江夏郡平春県に移り住んでいた。子に李緒・李基。孫(李緒の子)に李秉。曾孫(李秉の子)に李重・李嶷・李尚・李矩。玄孫に李式(李重の子)・李樊(李重の子で、李先の父)・李充(李矩の子)。『三国志』魏志「二李臧文呂許典二龐閻伝」に伝がある。 (ja)
  • 李 通(り つう、168年 - 209年)は、中国後漢末期の武将。曹操に仕えた。字は文達(ぶんたつ)。幼名に万億(『魏略』)。本貫は趙郡。先祖の潁川郡襄城県出身の李就(李膺の祖父の李脩の弟)は荊州江夏郡平春県に移り住んでいた。子に李緒・李基。孫(李緒の子)に李秉。曾孫(李秉の子)に李重・李嶷・李尚・李矩。玄孫に李式(李重の子)・李樊(李重の子で、李先の父)・李充(李矩の子)。『三国志』魏志「二李臧文呂許典二龐閻伝」に伝がある。 (ja)
dbo:wikiPageID
  • 244152 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 2684 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 87375811 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
prop-ja:ピン音
  • Lǐ Tōng (ja)
  • Lǐ Tōng (ja)
prop-ja:主君
prop-ja:出生
  • 168 (xsd:integer)
prop-ja:出身地
  • 荊州江夏郡平春県 (ja)
  • 荊州江夏郡平春県 (ja)
prop-ja:別名
prop-ja:名前
  • 李通 (ja)
  • 李通 (ja)
prop-ja:
  • 文達 (ja)
  • 文達 (ja)
prop-ja:死去
  • 209 (xsd:integer)
prop-ja:王朝
prop-ja:称号・役職
  • 汝南太守・都亭侯 (ja)
  • 汝南太守・都亭侯 (ja)
prop-ja:諡号
  • 剛侯 (ja)
  • 剛侯 (ja)
dct:subject
rdfs:comment
  • 李 通(り つう、168年 - 209年)は、中国後漢末期の武将。曹操に仕えた。字は文達(ぶんたつ)。幼名に万億(『魏略』)。本貫は趙郡。先祖の潁川郡襄城県出身の李就(李膺の祖父の李脩の弟)は荊州江夏郡平春県に移り住んでいた。子に李緒・李基。孫(李緒の子)に李秉。曾孫(李秉の子)に李重・李嶷・李尚・李矩。玄孫に李式(李重の子)・李樊(李重の子で、李先の父)・李充(李矩の子)。『三国志』魏志「二李臧文呂許典二龐閻伝」に伝がある。 (ja)
  • 李 通(り つう、168年 - 209年)は、中国後漢末期の武将。曹操に仕えた。字は文達(ぶんたつ)。幼名に万億(『魏略』)。本貫は趙郡。先祖の潁川郡襄城県出身の李就(李膺の祖父の李脩の弟)は荊州江夏郡平春県に移り住んでいた。子に李緒・李基。孫(李緒の子)に李秉。曾孫(李秉の子)に李重・李嶷・李尚・李矩。玄孫に李式(李重の子)・李樊(李重の子で、李先の父)・李充(李矩の子)。『三国志』魏志「二李臧文呂許典二龐閻伝」に伝がある。 (ja)
rdfs:label
  • 李通 (後漢末) (ja)
  • 李通 (後漢末) (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of