海西女直(かいせいじょちょく)は、16世紀から17世紀の明末清初頃に、開原・吉林のあたりに居住していた女直(女真)の集団。「海西女直」とは明の側で呼称するのに用いられた名前であり、海西女直と呼ばれた諸集団は満洲語ではフルン・グルン(hūlun gurun、フルン国、忽剌温またはとも表記された)と呼ばれる集団にあたる。フルンは(ᡠᠯᠠ, ula、烏拉)、(ᡥᠣᡳᡶᠠ, hoifa、輝発)、(ᡥᠠᡩᠠ, hada、哈達)、(ᠶᡝᡥᡝ, yehe、葉赫)の4つの政治体(4部)から構成されており、満洲史の側からはフルン四部(扈倫四部)とも呼ばれる。