林泰曽(りんたいそう、1851年(咸豊元年) - 1894年(光緒21年))は清朝末期の軍人。字は凱士。 清朝の北洋艦隊の高級将校であり、左翼と当時最新鋭の鎮遠の艦長を兼ねていた。1894年の日清戦争での黄海海戦の後、入港する鎮遠が座礁した事の責任を取って自殺した。