富澤 政恕(とみざわ まさひろ、文政7年11月2日(1824年12月21日)- 1907年8月29日)は、富澤家15代当主、武蔵国多摩郡名主、日野宿大組合惣代、神奈川県会議員、宮内省御用掛、主猟局監守長。 十代のころから剣術を学んだ。天然理心流三代目近藤周助の門人で、近藤勇の四代目襲名披露に大きな役割を果たした。若いころから連光寺村名主を務め、日野宿寄場組合44か村の大惣代に任命されるなど、地域の指導者であった。新田を開発し、戸籍を編纂し、学校を設立するなど地域に貢献した。文化面では俳諧、和歌、漢詩、茶道、押花などを嗜んだ。特に俳諧に関しては近隣の中心的存在であって、日野や町田の方面にも門人がいて、門弟指導にあたった。文武両道で人望の高い人物であった。性格は温雅でありながら英邁であった。