大橋柳雪(おおはし りゅうせつ、寛政7年(1795年) - 天保10年(1839年))は江戸時代の将棋指し(七段)。将棋家元の大橋分家・七代大橋宗与の養子となり、八代目当主が予定されていたが、後に廃嫡。天野宗歩らに影響を与えた存在として知られる。初名は中村喜多次郎(なかむら きたじろう)。後に中村英節、大橋分家の養子となってからは、大橋英俊、大橋宗英とも名乗る。