多田 弥太郎(ただ やたろう)は幕末出石藩の儒学者、砲術家、尊王攘夷家。大坂・江戸・京都で諸学を学び、藩校弘道館寮長を務めた。長崎で西洋砲術を学び、普及を試みるも、藩の旧勢力と対立し、9年間幽閉された。幽閉中、蝦夷地開拓、新型船建造等を構想し、尊皇攘夷派の公家等と接近した。七卿落ち後、生野の変に参加し、敗走後、藩領境界で藩士に刺殺された。