リスト・ヘイッキ・リュティ(フィンランド語: Risto Heikki Ryti、 1889年2月3日 - 1956年10月25日)は、20世紀のフィンランドの政治家、弁護士、銀行家。 フィンランド銀行総裁を務めるなど戦間期のフィンランドで要職を務め、1939年の冬戦争が勃発した翌日に首相、1940年12月にフィンランド第5代大統領に就任、継続戦争末期まで戦時政府を率いた。 1944年の継続戦争終結に先立ち、ソ連と、同盟国であったナチス・ドイツの双方を外交的策略で欺くことによって、結果的にフィンランドの対ソ連単独講和と国家の独立存続を実現させた。その「策略」の責任者として第二次世界大戦後、戦争犯罪人として告発され、禁錮10年の判決を受けたが、まもなく釈放された。汚名を負って救国を成し遂げた功労者としてフィンランド人に尊敬の念をもたれ、その死に際しては国葬をもって送られた。フィンランドで最も偉大な人物ランキングはカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムに続いて第2位。