ムスリム人(ボスニア語・セルビア・クロアチア語: Muslimani / Муслимани)は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国において、南スラヴ系のボシュニャク人を指して用いられていた呼称であり、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国の主要構成民族のひとつであった。「モスレム人」とも呼ばれる。 1990年代のユーゴスラビア崩壊後のムスリム人の民族復興運動によって、ボスニア・ヘルツェゴビナでは公式に、「ムスリム人」に替えてその歴史的呼称である「ボシュニャク人」の呼称が承認された。一方、ボスニア・ヘルツェゴビナを除く旧ユーゴスラビア諸国に居住する多くの人々が、現在でも民族名称として(ボシュニャク人ではなく)ムスリム人という呼称を自認しており、またコソボ、マケドニア共和国においては少数がゴーラ人、(マケドニア・ムスリム人)、ポマクを自認している。後2者は旧ユーゴスラビア諸国の範囲外のイスラム教徒のスラヴ人によっても用いられており、主としてスラヴ人が多数派を形成しているブルガリアや、少数派としてスラヴ人が居住しているギリシャやトルコにもこれらの名称は見られる。 旧ユーゴスラビア地域において、およそ1万人が現在でもムスリム人という民族意識を保持しているが、その範囲外では既にこの呼称は過去のものとなっている。

Property Value
dbo:abstract
  • ムスリム人(ボスニア語・セルビア・クロアチア語: Muslimani / Муслимани)は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国において、南スラヴ系のボシュニャク人を指して用いられていた呼称であり、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国の主要構成民族のひとつであった。「モスレム人」とも呼ばれる。 1990年代のユーゴスラビア崩壊後のムスリム人の民族復興運動によって、ボスニア・ヘルツェゴビナでは公式に、「ムスリム人」に替えてその歴史的呼称である「ボシュニャク人」の呼称が承認された。一方、ボスニア・ヘルツェゴビナを除く旧ユーゴスラビア諸国に居住する多くの人々が、現在でも民族名称として(ボシュニャク人ではなく)ムスリム人という呼称を自認しており、またコソボ、マケドニア共和国においては少数がゴーラ人、(マケドニア・ムスリム人)、ポマクを自認している。後2者は旧ユーゴスラビア諸国の範囲外のイスラム教徒のスラヴ人によっても用いられており、主としてスラヴ人が多数派を形成しているブルガリアや、少数派としてスラヴ人が居住しているギリシャやトルコにもこれらの名称は見られる。 旧ユーゴスラビア地域において、およそ1万人が現在でもムスリム人という民族意識を保持しているが、その範囲外では既にこの呼称は過去のものとなっている。 (ja)
  • ムスリム人(ボスニア語・セルビア・クロアチア語: Muslimani / Муслимани)は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国において、南スラヴ系のボシュニャク人を指して用いられていた呼称であり、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国の主要構成民族のひとつであった。「モスレム人」とも呼ばれる。 1990年代のユーゴスラビア崩壊後のムスリム人の民族復興運動によって、ボスニア・ヘルツェゴビナでは公式に、「ムスリム人」に替えてその歴史的呼称である「ボシュニャク人」の呼称が承認された。一方、ボスニア・ヘルツェゴビナを除く旧ユーゴスラビア諸国に居住する多くの人々が、現在でも民族名称として(ボシュニャク人ではなく)ムスリム人という呼称を自認しており、またコソボ、マケドニア共和国においては少数がゴーラ人、(マケドニア・ムスリム人)、ポマクを自認している。後2者は旧ユーゴスラビア諸国の範囲外のイスラム教徒のスラヴ人によっても用いられており、主としてスラヴ人が多数派を形成しているブルガリアや、少数派としてスラヴ人が居住しているギリシャやトルコにもこれらの名称は見られる。 旧ユーゴスラビア地域において、およそ1万人が現在でもムスリム人という民族意識を保持しているが、その範囲外では既にこの呼称は過去のものとなっている。 (ja)
dbo:thumbnail
dbo:wikiPageID
  • 1265554 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 3764 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 83712846 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
rdfs:comment
  • ムスリム人(ボスニア語・セルビア・クロアチア語: Muslimani / Муслимани)は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国において、南スラヴ系のボシュニャク人を指して用いられていた呼称であり、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国の主要構成民族のひとつであった。「モスレム人」とも呼ばれる。 1990年代のユーゴスラビア崩壊後のムスリム人の民族復興運動によって、ボスニア・ヘルツェゴビナでは公式に、「ムスリム人」に替えてその歴史的呼称である「ボシュニャク人」の呼称が承認された。一方、ボスニア・ヘルツェゴビナを除く旧ユーゴスラビア諸国に居住する多くの人々が、現在でも民族名称として(ボシュニャク人ではなく)ムスリム人という呼称を自認しており、またコソボ、マケドニア共和国においては少数がゴーラ人、(マケドニア・ムスリム人)、ポマクを自認している。後2者は旧ユーゴスラビア諸国の範囲外のイスラム教徒のスラヴ人によっても用いられており、主としてスラヴ人が多数派を形成しているブルガリアや、少数派としてスラヴ人が居住しているギリシャやトルコにもこれらの名称は見られる。 旧ユーゴスラビア地域において、およそ1万人が現在でもムスリム人という民族意識を保持しているが、その範囲外では既にこの呼称は過去のものとなっている。 (ja)
  • ムスリム人(ボスニア語・セルビア・クロアチア語: Muslimani / Муслимани)は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国において、南スラヴ系のボシュニャク人を指して用いられていた呼称であり、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国の主要構成民族のひとつであった。「モスレム人」とも呼ばれる。 1990年代のユーゴスラビア崩壊後のムスリム人の民族復興運動によって、ボスニア・ヘルツェゴビナでは公式に、「ムスリム人」に替えてその歴史的呼称である「ボシュニャク人」の呼称が承認された。一方、ボスニア・ヘルツェゴビナを除く旧ユーゴスラビア諸国に居住する多くの人々が、現在でも民族名称として(ボシュニャク人ではなく)ムスリム人という呼称を自認しており、またコソボ、マケドニア共和国においては少数がゴーラ人、(マケドニア・ムスリム人)、ポマクを自認している。後2者は旧ユーゴスラビア諸国の範囲外のイスラム教徒のスラヴ人によっても用いられており、主としてスラヴ人が多数派を形成しているブルガリアや、少数派としてスラヴ人が居住しているギリシャやトルコにもこれらの名称は見られる。 旧ユーゴスラビア地域において、およそ1万人が現在でもムスリム人という民族意識を保持しているが、その範囲外では既にこの呼称は過去のものとなっている。 (ja)
rdfs:label
  • ムスリム人 (ja)
  • ムスリム人 (ja)
owl:sameAs
prov:wasDerivedFrom
foaf:depiction
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageRedirects of
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of