ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦(ペトロパブロフスク・カムチャツキーほういせん、Siege of Petropavlovsk)は、クリミア戦争の太平洋戦線における主要な戦いである。1854年の8月から9月にかけて、ロシア帝国の極東最大の拠点だったカムチャツカ半島のペトロパブロフスク(当時、沿海州はまだ清領であり、ロシア領ではなかった)に対して、イギリス・フランス連合軍の艦隊が砲撃を浴びせて上陸を敢行しようとした。これに対して、艦船の数でも兵力でも劣るロシア側が防戦に成功し、ロシア側の犠牲者100人ほどに対して英仏連合軍は5倍ほどの犠牲者を出して撤退した。