『ピサ祭壇画』(ピサさいだんが、伊:Polittico di Pisa)は、ピサのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会のサン・ジュリアーノ(聖ユリアヌス)礼拝堂のために、イタリアのルネサンス期の巨匠、マサッチオによって制作された大きな多翼祭壇画である。礼拝堂は公証人のジュリアーノ・ディ・コリーノが所有していて、コリーノは1426年2月19日に合計80フローリンで作品を依頼した。支払いは同年の12月26日に記録された。祭壇画は18世紀に解体され、さまざまなコレクションや美術館に分散したが、1568年にジョルジョ・ヴァザーリが祭壇画について詳述しているため再構築の試みが可能となった。 祭壇画は板上に金地が施され、テンペラで描かれた絵画であった。もともとは、2段に編成された少なくとも5つの区分に10の主要な板絵があり、そのうち4点だけが現存していることがわかっている。さらに4点の側面の板絵と3点の裾絵 (プレデッラ) であった板絵(うち2点には2つの場面が描かれている)が現在、ベルリンの絵画館にある。祭壇画中央の板絵は、マサッチオの兄弟ジョヴァンニと、アンドレア・ディ・ジュストと共同で制作され、現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている。

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  • 『ピサ祭壇画』(ピサさいだんが、伊:Polittico di Pisa)は、ピサのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会のサン・ジュリアーノ(聖ユリアヌス)礼拝堂のために、イタリアのルネサンス期の巨匠、マサッチオによって制作された大きな多翼祭壇画である。礼拝堂は公証人のジュリアーノ・ディ・コリーノが所有していて、コリーノは1426年2月19日に合計80フローリンで作品を依頼した。支払いは同年の12月26日に記録された。祭壇画は18世紀に解体され、さまざまなコレクションや美術館に分散したが、1568年にジョルジョ・ヴァザーリが祭壇画について詳述しているため再構築の試みが可能となった。 祭壇画は板上に金地が施され、テンペラで描かれた絵画であった。もともとは、2段に編成された少なくとも5つの区分に10の主要な板絵があり、そのうち4点だけが現存していることがわかっている。さらに4点の側面の板絵と3点の裾絵 (プレデッラ) であった板絵(うち2点には2つの場面が描かれている)が現在、ベルリンの絵画館にある。祭壇画中央の板絵は、マサッチオの兄弟ジョヴァンニと、アンドレア・ディ・ジュストと共同で制作され、現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている。 2010年の時点で、11点の板絵が知られているが、その11点だけで確実に全体の祭壇画を再構築するのは不十分である。とりわけ、中央の板絵の側面にあった4人の聖人像が失われてしまっている。ヴァザーリは、これらの聖人たちは裾絵の物語の場面に表されていると述べている。聖ペテロ、洗礼者聖ヨハネ、聖ユリアヌス、聖ニコラウスである。とりわけ、C. ガルドナー・フォン・トイフェルや他の研究者が提唱しているように、これらの大きな聖人像が伝統的な個別の枠のある区分を占めていたのか、それともジョン・シアマンが提唱するように中央の聖母子像とともに統一された空間 (本作以降の数十年間に一般的な様式となる) に描かれていたのか、はっきりとしていない。 (ja)
  • 『ピサ祭壇画』(ピサさいだんが、伊:Polittico di Pisa)は、ピサのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会のサン・ジュリアーノ(聖ユリアヌス)礼拝堂のために、イタリアのルネサンス期の巨匠、マサッチオによって制作された大きな多翼祭壇画である。礼拝堂は公証人のジュリアーノ・ディ・コリーノが所有していて、コリーノは1426年2月19日に合計80フローリンで作品を依頼した。支払いは同年の12月26日に記録された。祭壇画は18世紀に解体され、さまざまなコレクションや美術館に分散したが、1568年にジョルジョ・ヴァザーリが祭壇画について詳述しているため再構築の試みが可能となった。 祭壇画は板上に金地が施され、テンペラで描かれた絵画であった。もともとは、2段に編成された少なくとも5つの区分に10の主要な板絵があり、そのうち4点だけが現存していることがわかっている。さらに4点の側面の板絵と3点の裾絵 (プレデッラ) であった板絵(うち2点には2つの場面が描かれている)が現在、ベルリンの絵画館にある。祭壇画中央の板絵は、マサッチオの兄弟ジョヴァンニと、アンドレア・ディ・ジュストと共同で制作され、現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている。 2010年の時点で、11点の板絵が知られているが、その11点だけで確実に全体の祭壇画を再構築するのは不十分である。とりわけ、中央の板絵の側面にあった4人の聖人像が失われてしまっている。ヴァザーリは、これらの聖人たちは裾絵の物語の場面に表されていると述べている。聖ペテロ、洗礼者聖ヨハネ、聖ユリアヌス、聖ニコラウスである。とりわけ、C. ガルドナー・フォン・トイフェルや他の研究者が提唱しているように、これらの大きな聖人像が伝統的な個別の枠のある区分を占めていたのか、それともジョン・シアマンが提唱するように中央の聖母子像とともに統一された空間 (本作以降の数十年間に一般的な様式となる) に描かれていたのか、はっきりとしていない。 (ja)
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  • 『ピサ祭壇画』(ピサさいだんが、伊:Polittico di Pisa)は、ピサのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会のサン・ジュリアーノ(聖ユリアヌス)礼拝堂のために、イタリアのルネサンス期の巨匠、マサッチオによって制作された大きな多翼祭壇画である。礼拝堂は公証人のジュリアーノ・ディ・コリーノが所有していて、コリーノは1426年2月19日に合計80フローリンで作品を依頼した。支払いは同年の12月26日に記録された。祭壇画は18世紀に解体され、さまざまなコレクションや美術館に分散したが、1568年にジョルジョ・ヴァザーリが祭壇画について詳述しているため再構築の試みが可能となった。 祭壇画は板上に金地が施され、テンペラで描かれた絵画であった。もともとは、2段に編成された少なくとも5つの区分に10の主要な板絵があり、そのうち4点だけが現存していることがわかっている。さらに4点の側面の板絵と3点の裾絵 (プレデッラ) であった板絵(うち2点には2つの場面が描かれている)が現在、ベルリンの絵画館にある。祭壇画中央の板絵は、マサッチオの兄弟ジョヴァンニと、アンドレア・ディ・ジュストと共同で制作され、現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている。 (ja)
  • 『ピサ祭壇画』(ピサさいだんが、伊:Polittico di Pisa)は、ピサのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会のサン・ジュリアーノ(聖ユリアヌス)礼拝堂のために、イタリアのルネサンス期の巨匠、マサッチオによって制作された大きな多翼祭壇画である。礼拝堂は公証人のジュリアーノ・ディ・コリーノが所有していて、コリーノは1426年2月19日に合計80フローリンで作品を依頼した。支払いは同年の12月26日に記録された。祭壇画は18世紀に解体され、さまざまなコレクションや美術館に分散したが、1568年にジョルジョ・ヴァザーリが祭壇画について詳述しているため再構築の試みが可能となった。 祭壇画は板上に金地が施され、テンペラで描かれた絵画であった。もともとは、2段に編成された少なくとも5つの区分に10の主要な板絵があり、そのうち4点だけが現存していることがわかっている。さらに4点の側面の板絵と3点の裾絵 (プレデッラ) であった板絵(うち2点には2つの場面が描かれている)が現在、ベルリンの絵画館にある。祭壇画中央の板絵は、マサッチオの兄弟ジョヴァンニと、アンドレア・ディ・ジュストと共同で制作され、現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている。 (ja)
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  • ピサ祭壇画 (ja)
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