ナヤン・カダアンの乱とは、1286年(至元23年)から1292年(至元29年)にかけて大元ウルスに対して東方三王家(東道諸王)が起こした反乱。反乱の首謀者ナヤンが挙兵してから捕縛されるまでの「ナヤンの乱(1286年4月 - 7月)」と、その後高麗方面に逃れたカダアン率いる反乱軍残党が鎮圧されるまでの「カダアンの乱(1286年 - 1292年)」に大別され、両者をあわせて「ナヤン・カダアンの乱」と総称する。 クビライの治世晩年に起こった大事件であり、嫡子たちに先立たれたクビライ自らが老齢を押して出陣し反乱を鎮圧したことが『東方見聞録』をはじめ各種史料で語られている。反乱鎮圧戦の後半でクビライに代わって主将を務めたテムル(クビライの孫に当たる)はこの戦いで朝廷内の有力者との関係を強化し、クビライの後継者としての地位を確立した。