チャスラヴ・クロニミロヴィチ (ギリシア語: Τζεέσθλαβος, セルビア語キリル・アルファベット: Часлав Клонимировић 890年代 – 960年)は、(在位: 927年ごろ - 960年ごろ)。スラヴ人の諸部族を統合することでを大幅に広げ、その版図はアドリア海沿岸からサヴァ川、峡谷にまで及んだ。チャスラヴは9世紀の君主と共に、中世セルビアの建国者と見なされている。 チャスラヴは、851年から880年にかけて共同公の地位にあったの孫で、890年代に活躍したの子である。また彼は知られている限り、7世紀前半からセルビアを支配していたセルビア史上最初の王朝であるの最後の君主である。母はブルガール人の貴族女性で、第一次ブルガリア帝国のボリス1世が自らクロニミルの妻として選んだ人物だった。