シリア北部の古代村落群あるいは「死の町」(アラビア語: المدن الميتة)、「忘れられた街」(アラビア語: المدن المنسية)は、シリアの北西部にある打ち捨てられた村落群である。この村落群はシリア北西部のアレッポからイドリブにまたがる地域に拡がっており、打ち捨てられた村はおよそ40に上る。広範囲に散らばる村落は大きく8つの考古学公園に区分けされている。これらは古代末期から東ローマ帝国時代にかけての、都市から離れた僻地での生活を垣間見ることができる貴重な資料となっている。ほとんどの村は1世紀から7世紀に形成されたもので、その後8世紀から10世紀の間に打ち捨てられている。村々は住居、土着信仰のための寺院(キリスト教以前)、キリスト教の教会、貯水槽、浴場などからなり、保存状態がよい。古代村落群には聖シメオン教会、、など歴史的、文化的価値の高いものが含まれる。 村落群はとして知られる石灰岩からなる小高い丘(山塊)に、幅20キロから40キロ、長さ140キロに及ぶ範囲に散らばっている。山塊はシメオン山、から成る北部、からなる中部、からなる南部の3つの山地に大別できる。